三富(さんとめ)新田

1)武蔵野台地の上に三芳町の位置を赤丸で
示した地図(資料館で撮影)

2)旧池上家住宅: 移築された古民家。裏手には、北風から茅がめくれ上がるのを防いだみごとなシラカシの高生垣「樫ぐね」が見られる

3)三富開拓地の中央を南北に走る「六間道路」に面した屋敷林と屋敷。杉、桧、欅、竹、樫類などは、家を風、火、地震から守り、又、器具、家具、建材やタケノコは食糧にした

4)地割耕地と奥の雑木林を撮影。手前・中間・奥に見える低い垣根はチャノキ。防風・畑の境界・茶葉としての利用と無駄がない。境界にはウツギが植えられたこともあったとか

5) 地割の雑木林: 薪炭、落葉を堆肥、落枝は燃やして焚きつけにし、灰は肥料として無駄なく使われた。二股の木は、モヤ分けされた証拠。ここはクヌギが少なく、コナラ、エゴノキが多い。エゴの果実は石鹸の代用、魚捕り、お手玉の玉、材が硬いので杭や柄にしたととか

6)サツマイモの苗床作り: 六間通りのお茶屋さんで、お茶を購入したら、「いいものがある」と見せて下さった。藁束で囲った枠の中に完熟堆肥を詰め、イモの伏せ込みをしていた。堆肥がその温度を25℃程度に保つ昔の人の知恵。このようにすると、良い苗が得られるとのこと

7) 麦畑・サツマイモ:5月に右上6)の写真から苗を切り取り、麦のうねの間に肥料を置き、苗を挿す。麦は苗が根着くまでの日よけ、風よけとなり、サツマイモを守る。どちらも乏水の武蔵野台地で生産可能な農産物。耕地内での連作を避け、輪作したとのこと

8)多福寺の社寺林: 多福寺(屋根などには柳沢家の花菱の家紋があった)とその周辺は「県自然環境保全地域」に指定されていて、針葉樹、落葉樹の林が寺を囲っている。屋敷林-雑木林ー社寺林を結ぶ緑の帯は多様な野生生物を守るビオトープネットワークそのもの 


戻る

 守山 弘氏の講習会で聞いた三富新田をいつか見たいと思っていました。TVの「水戸黄門」では悪人として登場した柳沢吉保ですが、三芳町では「三富新田生みの親として、今も尊敬の念を持って語られている」とあります。現地や資料を見て、300年も前の新田の地割が、自給自足を可能にする素晴らしい「村づくり」であったことを知ることができました。以下のリンク先はすべて三芳町立歴史民族資料館、埼玉県入間郡三芳町大字竹間沢877のホ−ムペ−ジからです。
参考資料: 
○『人と緑の文化誌』1993犬井 正、三芳町教育委員会
○『三芳の歴史』2002三芳町立歴史民俗博物館、三芳町教育委員会
○『むらの自然をいかす』2000、守山 弘、滑笏g書店