1)「東秋留駅」から西へ「秋留原面」の平坦な段丘面まで登り撮影。段丘高位面は近年まで乏水地帯だったので、畑けとして利用した

2)「秋留原面」から一段下位の「野辺面」まで東へ向かって下る参加者。歩いている坂は、秋川の河岸段丘そのもの

3)「東京の名湧水57選」の一つ、「二宮神社」境内「お池」(湧水を溜めた池)。水が得られる場所に、古代から人が集まり利用したことが二宮神社の歴史の古さから分かるとのこと

4)多摩川と秋川が合流する川べりに立地する前田耕地遺跡(縄文時代草創期)の看板。二棟の住居とその周辺からは、大量の哺乳動物と魚類の骨片が検出されたとか。

5)秋川の左岸「氾濫低地」から「小川面」にある雑木林を撮影。氾濫低地を畑けとして、段丘面と段丘崖を林地として利用してきた

6)「小川面」の段丘崖から滲み出ている水。礫層の下に水を通しにくい層があると、このように水が滲み出るとのこと

7)6)の写真すぐ右横の露頭にある礫を見ている参加者。
講師がハンマーで礫を割って見せてくれた。硬砂岩と呼ばれる礫とのこと

8)左側に秋川本流が上から下に向かって流れている。右側の土手が霞堤で、洪水になると本流の土手が切れた所から、水が畑地になっている「氾濫低地」(霞堤の向こう)へ流れ込む仕掛
人の暮らしと自然
  1. 水と生活:秋留台地は乾燥した台地のため、生活用水の入手が困難な乏水地帯だった。従って、江戸時代以前の東秋留の人々の足跡は、川の近辺や湧水地付近にある。観察地:、「二宮神社のお池」、近隣の湧水を集めた水路、「前田耕地遺跡」、「小川面」段丘崖の湧水を見学。
  2. 河岸段丘:東秋留駅(「野辺面」)から「秋留原面」までを往復し、河岸段丘を確認した。更に、「小川面」に降りて、その露頭から滲みでる湧水を見学し、「氾濫低地」を通って、秋川で昼食。
  3. 霞 堤:秋川本流の堤を不連続にした所(堤が切れている)がある。これは洪水時に、流れの一部が堤の切れた所から「氾濫低地」へ流れ込むようにするためである。ここには、本流とは逆の「/」状の堤防が作られている(下8)の写真参照)。元祖「あふれさせる治水」だと感心した。国土交通省の『河川伝統技術データベース』の黒部川、緑川を読むと、もしかしたら、当時の農民は洪水を上流から肥沃な土を運んでくれる絶好の機会と捉え、霞堤でその肥沃な土を畑地に引き込み、利用する知恵を持っていたのではないかと思う。

    参考資料: 講座で配布された『現地講座資料』辻村千尋、2010.03.014
    「河岸段丘」:段丘が作られるメカニズムの説明で、氷期・間氷期が川の堆積・下刻に関係あることに触れた。この点は頭の整理がまだついていない。

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