木の日の研修
日比谷公園・明治神宮の森にみる本田静六博士の足跡
〜森林インストラクターとしてどう伝えるか〜

2017年10月5日(木) 林友ビル6階会議室

 本多静六は、江戸末期の慶応2年(1866年)、現在の埼玉県久喜市に生まれ、幼くして父を亡くし苦学しながらも、東京山林学校(後の東京農科大学〜東京大学農学部)を卒業後ドイツに留学、帰国後母校帝国大学農科大学の助教授に就任。明治32年「日本森林植物帯論」の研究により32歳で日本初の林学博士となり、日本林学の基礎を築いた。
 大学演習林の創設、国立公園の創設、また全国各地の公園設計(改良設計200箇所)、荒廃した奥多摩水源林の保護育成、また湯布院温泉の発展策など数々の業績をあげ、日本林学・造林学の父、また日本の公園の父とよばれた。

 日比谷公園は、日本初の洋風公園として、本多静六ほかの設計で、明治36年(1903)に開園。東京市民に大きな話題、大新聞にもトップ記事となった。
 明治の欧化政策の中、周囲には鹿鳴館や帝国ホテルなど煉瓦造りの洋式建築が取り囲み、首都東京の顔として期待され西洋風の公園が求められた。そこで本多静六のドイツ留学の成果として持ち帰った「ベクトラム公園の模範図」を参考に設計された。
 当時、日比谷公園で3つの洋、「洋花を見て、洋楽を聞き、洋食を食べる」のがステータスとされたそうである。

 園内面積は16万平方m2、樹木数は中高木142種3200本、低木138種、都市公園として多くの種類の樹木が植えられ珍しい樹木もあり一種一木が多い。
 オニヤブソテツ、キケマン、ノシランといった日比谷公園の海岸性植物御三家、江戸時代から明治への歴史を見守った大ケヤキ(枯損木)、また「首かけ銀杏」が有名で、日比谷見付にあったものを、本多静六が自分の首をかけてでも移植を成功させると言ったことから、こう呼ばれている。
 近くにバクチノキがあり、ある意味“博打(ばくち)”の「首かけ」とひっかけて話すと楽しいなど、話題の多い公園である。

 明治神宮の森は大正9年(1920)創建(明治神宮鎮座97年)、今年で創建97年となり、東京オリンピック(2020)の年に100年を迎える。
 一部を除き荒れ地が広がっていた代々木御領地に鎮守の森を造成すべく、本田静六ほか著名な造園家などが集められ、100年をかけて天然更新による成熟した常緑広葉樹の森になるように構想した『明治神宮御境内林苑計画』が作られた。
 当時の内閣総理大臣・大隈重信が、「明治神宮の森も、伊勢神宮や日光東照宮のような荘厳な杉林にすべき」と反対したが、この地には杉は立派に育たないという本田静六の考えにより、今の明治神宮の森がある。明治神宮の三大美談として、@11万人の勤労奉仕、A10万本300余種の献木、B神宮外苑諸施設の献納、が語り継がれており明治人の気骨とエネルギーが明治神宮の森づくりの原動力になった。

 都心にあって自然豊かな常緑広葉樹の森が広がる明治神宮の森は、森の生き物も豊かで、神宮御苑のハナショウブ、御社殿と神木のクスノキ、日本一の木造大鳥居など見どころも多い。 

 日比谷公園は「都心のオアシス」、明治神宮の森は「大都会のオアシス」とも言われるそうだ。
 都心にあって身近な存在であり、都市の環境保全効果、防災効果、人々の心身の健康増進効果など多くの存在意義・効果もある。

 今回の講習で、本田静六を中心とした公園や森作りの主導者が後世にどんなものを残すのか、使命感をもって取り組んだ様子を知り、改めて日比谷公園や明治神宮の森の存在を理解でき、身近に感じることができた。

講師:FIT 二宮靖男氏
32年の出版社勤務の後、フリー編集者、自治体史の編纂コーディネーター。森林インストラクター。
著書 「御蔵島島史」(共著)、「御蔵島フィールド図鑑」(共著)、「江戸大名庭園の魅力−東京都文化財庭園ガイドの誕生」(執筆)

参加人数:30名

 (報告:小川 能男)




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